SIerが見るAIの現実:プロンプトの先を行く「コンテキストエンジニアリング」の奥深さ

システムインテグレーターのTak@と申します。突然ですが、みなさんはAIがただの質問応答ツールだと思っていませんか?

実は、その考え方自体が、すでに時代遅れになりつつあるかもしれません。AIを事業で活用する上で、もはやAIモデルの性能そのものよりも、いかに「適切な情報」を「適切なタイミング」でAIに与えるかが、その成否を分ける時代に突入しているのです。

AIの「賢さ」は、問いかけよりも「舞台設定」で決まる

これまでAIを上手に使うための技術として、「プロンプトエンジニアリング」という言葉がよく聞かれました。これは、AIへの指示文を具体的かつ詳細に記述することで、AIの応答の質を高める手法です。

いわば、「完璧な一文」を練り上げることに焦点を当てていたのです。私もAIツールの開発で、この「一文」に頭を悩ませた経験があります。

しかし、元Hugging Faceのテクニカルリードで、Google DeepMindのシニアAIリレーションエンジニアであるフィリップ・シュミット氏は、この焦点が「コンテキストエンジニアリング」という、より広範囲で力強い概念へと移り変わっていると強く主張しています。

https://www.philschmid.de/context-engineering

では、「コンテキストエンジニアリング」とは何でしょうか?

シュミット氏は、「AIがタスクを現実的に解決できるように、必要なすべてのコンテキストを提供するための技術」だと説明します。つまり、単にAIに送る指示(プロンプト)だけでなく、AIが応答を生み出す前に参照する、あらゆる情報が含まれるのです。

これは、AIとの対話を「質問と回答」の単純なやり取りから、「情報提供 → 環境構築 → 問題解決」という、より実践的なプロセスへと深める考え方です。

コンテキストを構成する要素たち

AIが「賢い」応答をするためには、様々な情報の組み合わせが必要です。コンテキストを構成する主要な要素は以下の通りです。

  • 指示・システムプロンプト: AIの基本的な振る舞いを定める初期設定やルールです。AIの「性格」や「役割」を決めるものとも言えます。
  • ユーザープロンプト: ユーザーがAIに直接投げかける具体的な質問やタスクです。
  • 状態・履歴(短期記憶): これまでの会話の流れや、AIが一時的に記憶している情報です。人間でいう「さっきの話の続き」に当たります。
  • 長期記憶: 過去の対話からAIが学習したユーザーの好み、知識、あるいはプロジェクトの要約など、より永続的な情報です。
  • 検索された情報(RAG): 文書やデータベース、APIなどから取得される外部の最新情報です。これはAIの「外部情報源へのアクセス」を可能にします。OCRを使ってPDF文書からタイトルや表を抽出し、その構造情報を保ったままRAGに利用することで、AIの回答精度が向上するという研究結果もあります。
  • 利用可能なツール: AIが実行できる関数や機能の定義です。例えば、在庫確認やメール送信、カレンダーの参照など、AIが「行動」するための手段を指します。
  • 構造化された出力: AIの回答形式の指定です。JSON形式など、AIに特定の形で情報を提供させたい場合に重要になります。

これらの要素をいかに適切にAIに与えるかが、その能力を最大限に引き出す鍵となるのです。SIerとして、これはまるで、複雑なシステムを構築する際の要件定義に似ていると私は感じますね。

「安っぽいデモ」と「期待を超えるプロダクト」を分けるもの

シュミット氏は、「優れたAIエージェントを作る秘訣は、複雑なコードを書くことではなく、いかに質の高いコンテキストを提供できるかにある」と指摘します。そして、AIエージェントの失敗の多くは、AIモデルの能力の限界ではなく、コンテキストの提供不足に起因しているとまで言い切っています。

例えば、AIアシスタントに「明日、簡単な打ち合わせの時間はありますか?」というメールで予定調整を頼んだケースを考えてみましょう。

「安っぽいデモ」のAI

もしAIエージェントが受け取ったメールの文面しか見ない(つまり、コンテキストの質が低い)場合、その返答は「ありがとうございます。明日は大丈夫です。何時ごろがご希望ですか?」といった、機械的で役に立たないものになるでしょう。

これは、まるでテンプレートをそのまま使っただけの、「安っぽいデモ」のようです。AIはただの「質問応答機」で終わってしまいます。

「期待を超えるプロダクト」のAI

しかし、もしAIエージェントが、あなたのカレンダー情報、相手との過去のメール履歴、連絡先リスト(相手が重要なパートナーであること)、そしてメールを送信できるツールなどの情報をコンテキストとして与えられていたらどうでしょうか。

AIエージェントは、これらの豊富な情報を踏まえて、次のようなメールを返答してくれるでしょう。

「こんにちは!申し訳ありません、明日はスケジュールが一日中詰まっております。木曜の午前中なら空いていますが、いかがでしょうか?招待を送っておいたので、ご都合をお聞かせください」

これは、人間のように状況や相手との関係性を踏まえた、気の利いた、「期待を超えるプロダクト」の体験です。

AIがこのように機能するのは、AIモデルが驚くほど賢いからでも、アルゴリズムが特に巧妙だからでもありません。適切なタスクに適切なコンテキストを提供した結果なのです。私の趣味のAIツール開発も、ユーザーの「真のニーズ」という文脈を読み解くことから始まります。

コンテキストエンジニアリングの「奥深さ」と実践

コンテキストエンジニアリングは、単一のテキストで完璧な指示文を作るプロンプトエンジニアリングとは大きく異なります。それは単なる「文字列」ではなく、AIの処理が実行される前に稼働する「システム」として機能します。

この分野の「奥深さ」は、情報の与え方や、AIがその情報をどのように利用するかを設計する点にあります。

動的なコンテキスト管理

コンテキストエンジニアリングの核心の一つは、当面のタスクに合わせてその場で動的にコンテキストを生成することです。これは、まるでベテラン秘書が会議中に必要な資料を絶妙なタイミングで差し出すかのように、必要な情報を適切なタイミングでAIに提供する仕組みです。

リクエストに応じて、カレンダーデータ、過去のメール、ウェブ検索結果などがリアルタイムでAIの「作業用メモリ(コンテキストウィンドウ)」に読み込まれます。

情報の整理と提示(情報の仕組み)

膨大な情報をAIにそのまま渡すだけでは、AIは混乱し、性能が低下する可能性があります。そこで重要になるのが「情報の仕組み」です。情報を重要度や時系列に応じて整理・圧縮する技術が必要になります。

例えば、生のデータをそのまま渡すよりも簡潔な要約の方が、AIが効率的に情報を利用できることが多いのです。人間が複雑な情報を理解する際に、要約や図解が役立つのと同じですね。

ツールと状態の連携

AIエージェントが現実世界で行動するためには、外部システムとの連携が不可欠です。在庫確認システムやメール送信API、データベースなど、AIが利用できるツールの定義を明確にし、これらをスムーズに連携させる設計が求められます。

これにより、AIは単に情報を生成するだけでなく、具体的な「行動」を起こすことができるようになります。

直面する課題とそれへの向き合い方

コンテキストエンジニアリングは多くの可能性を秘めていますが、同時にいくつかの課題も存在します。

  • 実装の複雑性: このようなシステムを設計・実装するには、高度な専門知識と経験が必要です。
  • 調整コスト: AIの振る舞いを理想に近づけるためには、相当な試行錯誤が必要になります。モデルが非決定論的な性質を持つため、常に同じ結果が出るとは限らないからです。
  • 計算コスト: 大量の情報処理を伴うため、AIの利用にかかるコストが増加する可能性があります。特に、ツール呼び出しのフィードバックや長い文脈は、トークン数とコストを大幅に増やす要因となります。

これらの課題があるからこそ、「AIを使う」だけでなく「AIを使いこなす環境を設計する」というスキルが、ますます価値を持つようになっているのです。

SIerから見たコンテキストエンジニアリングの現実

SIerとして、私は長年、お客様の「ビジネスの文脈」を理解し、それに合わせたシステムを設計してきました。AIの世界で語られるコンテキストエンジニアリングは、まさにこの「文脈を捉える力」が、AIの成果を左右するという現実を突きつけています。

システム開発では「要件定義」が非常に重要です。

ユーザーの要望をただ聞くのではなく、その背景にある「なぜそれが必要なのか」「何を達成したいのか」という深い文脈を掘り下げることが、本当に価値のあるシステムを作る上で不可欠です。

コンテキストエンジニアリングは、AIに対しても全く同じアプローチを求めていると感じます。

AIが提供する「期待を超える働き」は、AIモデル自体の賢さだけではなく、そのAIが稼働する「環境」をいかに整えるかにかかっています。これは、まるで高性能なCPUに十分なRAM(メモリ)とストレージ、そして周辺機器がなければ、その性能を十分に引き出せないのと同じです。

AIのコンテキストウィンドウは、まさにこの「作業用メモリ」のようなものだと考えると、その重要性がより鮮明になります。

私たちは、AIが「魔法」のように答えを出すと錯覚しがちです。しかし、その裏には、私たちが提供する「情報」という舞台設定が存在します。

もしAIの応答に不満があるなら、それは「AIが賢くない」のではなく、「AIに適切な舞台を与えていない」だけかもしれません。

AI活用の「次の一手」を考える

コンテキストエンジニアリングへの注目の高まりは、AI業界が単なる「質問応答」の段階を超え、より複雑で現実的なビジネス課題を解決する段階へと進んでいることを示しています。

ShopifyのCEOであるTobi Lutke氏や、元Tesla/OpenAIのAndrej Karpathy氏、Appleの研究者であるAwni Hannun氏といった業界の著名人たちが、この概念に賛同し、その重要性を強調しているのは、まさにこの変化を象徴しています。

彼らは、深層学習を「睡眠中の学習」(事前訓練された知識)と例えるならば、コンテキストエンジニアリングは「覚醒中の学習」(リアルタイムで必要な情報を的確に供給する技術)であると述べています。

これは、AIが持つ膨大な知識を、いかに「今、この瞬間」の課題解決に活かすか、という問いへの答えを示しています。

コンテキストエンジニアリングの登場は、AI開発におけるスキルの変化も促しています。これからは、単にプロンプトの記述方法を学ぶだけでなく、情報構造を設計する「情報アーキテクチャ」の知識や、外部ツールとAIを連携させる「システム連携」の技術がより重要になるでしょう。

また、AIの挙動を評価し、改善していくための継続的な「評価基盤」も欠かせません。

情報の「選別」と「表現」の重要性

AIに大量の情報を提供すれば良いというわけではありません。不要な情報や関連性の低い情報を提供すると、AIのコストが増加するだけでなく、性能も低下する可能性があります。

だからこそ、コンテキストエンジニアリングでは、情報の「選別」と「表現」が極めて重要になります。

  • RAG(検索拡張生成)による情報収集: 必要な情報だけを文書やデータベースから選択的に取得し、LLMに与えることで、応答の質を高めます。
  • ツール利用の選別: AIが利用できるツールが多すぎると、AIが混乱する可能性があります。必要なツールだけを選択して提供することで、AIの精度を高めることができます。
  • コンテキストの整理と要約: 長い会話履歴や大量の文書は、AIにとって負担となります。重要な部分を要約したり、構造化したりして提供することで、AIはより効率的に情報を利用できます。

これは、プロジェクト管理において、必要な情報を選び、それを適切な形式で提示することで、チーム全体の生産性を高めるアプローチと非常に似ています。

不要な情報を取り除き(コンテキスト剪定)、文脈ごとに情報を分離する(コンテキスト隔離)といった戦術も有効です。

AIの未来は、あなたの「コンテキスト」が描く

AIを「魔法の箱」のように捉える時代は終わりを告げ、その内部でいかに「適切な文脈」を構築するかが問われる時代になりました。プロンプトエンジニアリングが「何を言うか」に焦点を当てていたのに対し、コンテキストエンジニアリングは「何を見せるか、そしてどう見せるか」までを含みます。

AIの「期待を超える働き」は、AIモデルの進化だけでは生まれません。

それは、人間がAIのために「最高の舞台」を設計し、必要な情報を揃え、適切なツールを与えることで初めて実現します。つまり、AIの未来を形作るのは、私たち人間がどれだけAIとの「文脈」を深く理解し、意図的に構築できるかにかかっているのです。

あなたは、AIにどのような「舞台」を用意してあげたいですか?そして、その舞台で、AIにどのような「期待を超える働き」をさせたいですか?

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photo by:Gemini