AIに“全部”は任せたくない──スタンフォード大、米労働者1,500人の意識調査
IT Exploreを運営しているシステムインテグレーターのTak@です。普段はWebサービス開発に情熱を注ぎ、生成AIの可能性を日々探求しています。
今回のコラムでは、AIが仕事に与える影響について、一般的な認識とは異なる興味深い調査結果をご紹介します。AIは私たちの仕事を奪うのか、それとも新たな協業の道を開くのか。
そのヒントが、スタンフォード大学の最新研究から見えてきました。
労働者の「AIに任せたいこと」と「任せたくないこと」
AI技術の急速な進展は、労働市場に大きな変化をもたらしています。多くの人が「AIに仕事が奪われるのでは?」という懸念を抱いているかもしれません。
しかし、スタンフォード大学の研究者たちが発表した「WORKBank」という新しいデータベースによる調査は、AIと仕事の未来について、より複雑で人間らしい視点を提供しています。
この調査は、米国労働省のO*NETデータベースを基に、104の職種にわたる1,500人の現場の労働者と52人のAI専門家から、844のタスクに関する意見を集めたものです。
単に「自動化するかしないか」という二元論ではなく、労働者がAIエージェントに何を自動化してほしいか、何を拡張(人間の能力を補強)してほしいか、そしてそれが現在の技術的な能力とどれくらい合致しているかを評価する、画期的なフレームワークを採用しています。
労働者がAIに自動化を「熱望」するタスクとは?
興味深いことに、調査対象となったタスクの46.1%において、労働者はAIエージェントによる自動化に対して肯定的な姿勢を示しています。
彼らが自動化を望む主な理由は、「より価値の高い仕事に時間を費やしたい」というもので、これは回答の69.38%を占めました。その他には、タスクが反復的で退屈であること(46.6%)、ストレスが多いこと(25.5%)、品質改善の機会があること(46.6%)などが挙げられています。
具体例として、「税理士:顧客とのアポイントメントをスケジュールする」というタスクは、平均で5.00点(非常に自動化してほしい)という高い自動化欲求を示しています。
これはまさに、労働者がルーチンで時間のかかるタスクから解放され、より戦略的で人間的な業務に集中したいと考えていることの表れでしょう。私自身も「AI学習プランナー」というツールを使って勉強効率を上げているのですが、まさにAIとの協業の良さを実感しています。
しかし、現在のLLM(大規模言語モデル)の利用状況を見ると、この労働者の「自動化したい」というニーズと、実際のAI利用との間に「ズレ」があることが示されています。
例えば、最も自動化欲求が高い上位10職種は、LLMベースのチャットボット「Claude.ai」の全利用量のわずか1.26%しか占めていません。
これは、既存の利用パターンが特定の初期採用者や職種に偏っており、より広範な労働者の潜在的なニーズがまだ十分に反映されていないことを示唆しています。
「人間らしさ」が求められる、AIに「任せたくない」タスク
一方で、労働者がAIによる自動化に抵抗を示すタスクも存在します。オーディオ回答の分析では、回答者の28.0%がAIの使用に関して懸念や否定的な感情を表明しています。主な懸念事項は以下の通りです。
- AIシステムの精度、能力、信頼性への不信感 (45.0%)
- 雇用がAIに置き換えられることへの不安 (23.0%)
- AIに「人間らしさ」や人間的な能力が欠けていること (16.3%)
この「人間らしさ」の欠如について議論する際、労働者は仕事における「人間的な触れ合い」の喪失、創造的なコントロールの減少、そして意思決定における主体性(エージェンシー)を維持したいという欲求を表明しています。
特に「アート、デザイン、メディア」分野では、コンテンツ作成の自動化に対して顕著な抵抗が見られ、この分野のタスクでは自動化への肯定的な評価がわずか17.1%にとどまりました。
あるアートディレクターは、「ワークフローがよりシームレスになり、反復的で退屈な作業が減るためにAIを使いたい。コンテンツ作成には使いたくない」と明確に述べています。
また、「編集者」は、労働者が最も「H5(人間による継続的な関与が不可欠)」を望む唯一の職種でした。これは、彼らがコンテンツの創造性や微妙なニュアンスの判断に人間の介入を不可欠だと考えていることを示唆しています。
AIと人間の「協業」の可能性:ヒューマン・エージェンシー・スケール(HAS)
この研究の重要なポイントの一つが、従来の「自動化か、そうでないか」という二元的な見方を乗り越えるために導入された「ヒューマン・エージェンシー・スケール(HAS)」です。これは、タスクの完了と品質に必要とされる人間の関与の度合いを、H1(人間の関与なし)からH5(人間の関与が不可欠)までの5段階で定量化するものです。
- H1: AIエージェントがタスクを完全に単独で処理する。
- H2: AIエージェントが最適なパフォーマンスのために最小限の人間による入力が必要。
- H3: AIエージェントと人間が等しいパートナーシップを組み、単独よりも優れた成果を出す。
- H4: AIエージェントがタスクを成功裏に完了するために人間による入力が必要。
- H5: AIエージェントは人間による継続的な関与なしには機能しない。
HASは、タスクの特性と適切なAIエージェントの開発アプローチの両方を評価するための人間中心の視点を提供します。H1〜H2のタスクは自動化アプローチに適している一方、H3〜H5のタスクは拡張戦略から恩恵を受けることができます。
「等しいパートナーシップ」への期待
HASの調査結果は、驚くべきことに、45.2%の職種でH3(AIエージェントと人間が等しいパートナーシップを組み、単独よりも優れた成果を出す)が最も労働者に望まれるレベルであることを示しています。
これは、多くの労働者がAIを仕事を奪う存在ではなく、自身の能力を補完し、強化してくれる存在、つまり「協業パートナー」として捉えている可能性を強く示唆しています。
オーディオ回答の分析でも、労働者の大半がAIとの協業に前向きな姿勢を示しています。
最も一般的な協業の形は「役割ベースのAIサポート」(23.1%)で、AIが特定の役割やパーソナライズされた機能を担うことを期待しています。次に多いのは「アシスタントとしてのAI」(23.0%)で、「研究を代行してくれるアシスタント」というイメージが共有されています。
これは、AIエージェントと人間の「協業」が、単に生産性を向上させるだけでなく、仕事の質を高め、労働者の創造性や満足度にも良い影響を与える可能性を秘めている、とこの研究は示唆しています。
しかし、労働者が望む人間の関与レベル(Hw(t))と、AI専門家が評価する技術的に実現可能なレベル(He(t))の間には、依然として「ズレ」が存在します。
全体のタスクのうち、両者の評価が一致するのは26.9%に過ぎず、労働者は一般的に、専門家が技術的に可能だと考えるよりも高いレベルの人間的関与を望む傾向にあります。この意見の不一致は、AIの導入が進むにつれて摩擦を生む可能性を示唆していると述べられています。
投資と研究の「ズレ」が示す機会
WORKBankデータは、労働者の「自動化したい」という欲求(Aw(t))と、AI専門家による「現在の技術的実現可能性」(Ae(t))を組み合わせることで、タスクを四つのゾーンに分類しています。
- 自動化「青信号」ゾーン: 自動化への欲求も現在の技術能力も高いタスク。生産性向上と社会的な利益を広範囲にもたらす可能性があり、AIエージェント導入の最有力候補です。
- 自動化「赤信号」ゾーン: 技術能力は高いが、自動化への欲求が低いタスク。導入には労働者の抵抗に直面する可能性や、広範な負の社会的影響をもたらす可能性があるため、慎重な検討が必要です。
- R&D機会ゾーン: 自動化への欲求は高いが、現在の技術能力はまだ低いタスク。これらはAIの研究開発において、将来が有望な方向性を示しています。
- 低優先ゾーン: 自動化への欲求も現在の技術能力も低いタスク。これらはAIエージェントの開発において、緊急性が低いとされます。
この分類を見ると、意外な「ズレ」が見えてきます。
例えば、スタートアップ企業への投資を測る「Y Combinator (YC) の企業タスクマッピング」では、41.0%が「低優先ゾーン」と「自動化赤信号ゾーン」に集中していることが判明しました。
これは、労働者が望むAIの導入とは異なる分野に、現在の投資が流れている可能性を示唆しています。現在の投資は、主にソフトウェア開発やビジネス分析に集中しており、「青信号ゾーン」や「R&D機会ゾーン」の多くの有望なタスクが見過ごされているのです。
一方で、AIエージェントに関する研究論文は、「R&D機会ゾーン」に重点が置かれている傾向が見られます。
これは喜ばしいことですが、その研究もまだコンピューターサイエンスやエンジニアリングの分野に集中しており、より幅広い分野での研究が求められています。
この「ズレ」は、社会的なニーズと技術開発の方向性を一致させるための重要な示唆を与えています。本当にAIが必要とされている場所、つまり労働者が望む領域に、より多くの研究開発と投資を向けることが、AIと人間の共存社会を築く上で不可欠だと言えるでしょう。
AI時代の「求められるスキル」の変化
AIエージェントの統合は、人間の核となる能力、つまり「スキル」の需要をどのように変えるのでしょうか。研究では、タスクとO*NETのスキル(汎用作業活動)を紐づけることで、この変化の兆しを捉えています。
「情報処理」から「対人関係能力」へ
注目すべきは、これまでの高賃金職種で重視されてきた「データの分析や情報処理」や「関連知識の更新と活用」のようなスキルが、AIとの協業が必要なタスクにおいては、相対的に重要度が低下していることです。
その代わりに、人間との相互作用、連携、そして資源の監視といった「対人関係能力」や「組織スキル」の重要性が増していることが明らかになりました。
これは、AIがデータの処理や分析を効率的に行う一方で、人間は複雑な人間関係の構築(「人間関係の構築と維持」)、共感(「他人への援助とケア」)、指導(「部下の指導、指示、動機付け」)、創造的な思考(「創造的思考」)、そして倫理的な判断といった、AIには難しい領域にその価値をシフトさせていくことを示唆しています。
たとえば、H5レベルのタスク(人間による継続的な関与が不可欠なタスク)は、労働者の評価では「対人コミュニケーション」と強く関連しており、専門家の評価では「対人コミュニケーション」と「専門知識」が強調されています。
この変化は、教育や職業訓練の方向性にも影響を与えるでしょう。
未来の労働市場では、単なる知識や情報処理能力だけでなく、人間ならではの「ソフトスキル」が、より一層その価値を増していくと考えられます。
まとめ:AIとの未来を「共創」するために
スタンフォード大学のWORKBank調査は、AIと仕事の未来に対する私たちの認識を豊かにする、貴重なデータを提供してくれました。
AIの台頭は、単なる「自動化か失業か」という脅威論だけではなく、労働者のニーズと技術の可能性を慎重に整合させることで、「拡張(オーグメンテーション)」という新たな共存の道を切り開くことができる、という希望を見せてくれています。
労働者は、退屈で価値の低いタスクをAIに任せることを望み、その時間をより創造的で価値の高い仕事に充てることを求めています。そして、多くのタスクにおいて、AIとの「等しいパートナーシップ」を期待しているのです。
しかし、現在の投資や研究開発の方向性が、必ずしもこれらの労働者のニーズと一致しているわけではありません。
この「ズレ」を認識し、労働者の声に耳を傾けることが、責任あるAI開発と、より良い未来の働き方を「共創」するための鍵となるでしょう。
AIは私たちの仕事を「変える」ツールであり、私たち自身もまた、AIとの関わり方を通じて進化していく必要があります。情報処理能力から対人関係能力へのスキルのシフトは、その具体的な方向性を示唆しています。
私たちは、AIを賢く活用し、人間らしい価値を最大限に引き出す未来を築くことができるはずです。